読了:存在しえないはずのリアルを内在

三崎亜記『となり町戦争』
珍しくまじめに書いてみる。
三島賞直木賞候補作(直木賞はまだ受賞の可能性アリ)
途中まで読んでいてずっと感じていたのは、とても気持ちが悪い話だ、ということ。
恐らく同系統の作品として『最終兵器彼女』が挙げられると思いますが(戦争をテーマにしていて、戦争の詳細が良く分からない、という点)、しかし『最終兵器彼女』は驚くほど明確に主題を『恋愛』に絞っていたのに対し、この作品は作品の目的さえ『作中の戦争と同様に』不明瞭で、気持ちが悪い、というよりも『居心地が悪い』印象を与えられる作品でした。読者は『僕』と同じように『何を指標にすればよいのかわからない』。勿論若干過剰にも思える口調や行為などでキャラクタの肉付けがなされ、意味深な『連続殺人鬼』や『主任』・『おかっぱの男』、『コートの男』の存在や、香西さんとの微妙な関係など、それなりに読んでいく変化の指標は存在するものの、物語の中には常に虚無感が横たわっており、読者はどうやってこの物語を受け入れるべきなのか判別が出来ない。
これは作者が唐突に物語を始めたところからも明らかで、『物語の始まり』や『終わり』が既定の様式美を無視していることで効果を狙っていると考えられる(物語の終わりに『終章』が存在するのは、作中の『アレ』との対比ではないだろうか)。
しかし、徐々に戦争の匂いが濃くなるにつれて(もしくは、リアルを伴う感覚を『僕』が体験するのに伴って)、読者もこの物語の主題についておぼろげながら捕らえることができるようになっている。
こういう効果を狙ってるんだとしたら、作者はかなりすごいと思う。結論の着地点が村上春樹っぽかったのはややマイナス。後、前述したけれど、キャラクタの口調が余りにわざとらしすぎたのはいただけないと思う。作者の語る『戦争論』についてはなんともいえない部分も多い。
でも、これは確かになかなか、演出効果が素晴らしい成功を収めている作品であると思う。