とりあえず

講談社BOX
舞城王太郎『SPEEDBOY!』
西尾維新化物語(上)』
を買ってきました。
要するに、こうやって見た目を統一することによって、オタク特有の蒐集欲を煽ろうっていうそういう手段なんだろうなあ。太田克史、商売上手いな……。
想像してたよりはまあ見た目的には面白いかな。舞城のは『山ん中〜』がハードカバーだったんだからそれで出して欲しかったけど。

はははははははは

http://shop.kodansha.jp/bc/kodansha-box/

講談社BOX新人賞のお知らせ
登場することによって一瞬で時代の“流れ”を変えてしまう――、
そんな破格の小説、破格のイラスト、破格の批評・ノンフィクション作品を
講談社BOX編集部は求めています。
優秀作品は「講談社BOX」として書籍化をいたします。

……。まーでも長編も送れるようになったんだ、ね…、うん…。

まだ見ている人がいらっしゃったらこんにちは

結局全然諦めることなんてできなかったので、群像新人文学賞に昨日応募しました。
いろいろ見切り発車しちゃったけど、あの作品が書けたのは自分として結構大きいと思います。結果如何の前に自分で満足してるので、良しとします。
次は三月の文藝賞新潮新人賞
短篇を書いてみようかと。
あ、あとその同級生のメフィスト賞云々のも読んでみたいな。
冷静に受け取れるようになってきました。

正解に一番近い場所

知り合い(共に名前と顔が一致し、お互い読書が趣味だと認識し合っている程度の間柄)のひとが『メフィスト賞』に応募し、誌上で講評され、編集者のひとと会えるかもしれないところまで行っているようだ。
最悪の諦め方が目の前に迫ってきたのかもしれない。身近にそこまでのレベルの人が居るならば、自分はやはりそうでは無かったのだと考えてしまうのは僕が卑屈だからだろうか?
別に僕はそいつのことを良く知らない。そいつが書いた文章を読んだことがあるわけではないし、そいつがどんな作家がすきなのかも良くしらない。
しかし、身近にそういう人間が居る、ということは、例えばもうほとんどごくごくわずかな確率でありえたかもしれない『椅子』が取られてしまったようなものだ。僕が地面を這って座ろうと狙っていたところが、辿り着いてみたらもう既に座られていた、そういう気分になる。
小説を書くことが楽しかった時期はとうに過ぎてしまったのかもしれない。書けば書くほど僕の中に卑しい感情ばかりが積もっていくような気がする。