中村文則「世界の果て」(文學界〇六年一月号)

芥川賞受賞第一作。実験作という印象です。今までの作風と違い、一人の人間にスポットを当てているのではありません。後、現実に即していないです(今までの作品も現実に存在するかどうかは怪しい部分ではありましたが、この作品では完全にリアリティは排除されています)。子供を捨てる夫婦や怠慢な警官などが一斉に登場する(1)の印象が強く、後の章はまだありえる話なのですが、それでも現実感の無い場所のように描かれます。
正直な印象としては深みが足りないと思います。短すぎるからか、やや現実と乖離した部分の影響かは判断できませんけれど、やや掘り下げが甘かったのでは?
文体に関しても、一人称で区別をさせるためか幼い言葉遣いを意図的にしており、それがやや柔らかくなってしまったという印象を与えます。後個人的に最も不満だったのは(今までの幾度かあったと思いますが)、『カタカナ文』の使用が多くあったことです。僕はあの使用はどうしても苦手で許せないのでした。あとオノマトペが気になったのですが、今までこんなにオノマトペ使ってましたっけ?
しかし、連作のような形式で只管に「世界の果て」を描いていく試みは面白く、興味深かったです。中村さんの作品のほとんど共通のテーマの『自ら崩壊していく人々』の描写としてはいうことはなく、加えて『映像的な衝撃』、例えば『土の中の子供』での『白い矢印のような煙草』のように今回は、『空にできた切れ目のような烏の群れ』、『どこまでも果てなく並んだ靴』などが映像としてあります。今までの作品では現実性が問題になってこういうことはかけなかったでしょう。今回は映像的な表現を目指したのかもしれません。
(3)の少年の章は、本当に偶然なのですが今僕が書いている作品とテーマが類似し、ちょっとどうしよう、ああ、被っちゃったなぁと思っています。しかし勿論エンドなどは違うので僕は書き続けますが、同じことを中村さんが書こうとしているということは、僕にとって励みにもなるのでした。
「世界の果て」というタイトルは文句なしに素晴らしい。割りに一般的な名詞ですが、中村さんの作風ととても合っています。

女が、呼吸を荒くしながら、遠くで電話をかけようとしていた。女は指を震わせながら、何度もボタンを押し間違えていた。ぼくはその光景を、壁に背を預けながらぼんやりと見ていた。早くかけろ、とぼくは頭の中で呟いていた。このままここに放っておかれたら、ぼくはもう、どうすればいいのかわからない。何にも関わることがなく、いつまでもここに放置されていることに、耐えることはできそうになかった。(中略)その時、ぼくの中で、何か乾いた木片がこすれるような、奇妙な音がした。それは、何かが完結したような、無責任な終わりの音のように思えた。